昔のことを思い出してネガティブに反芻するの巻

昔の事を二つばかり思い出した。

一つ。

あれは中学3年のこと。1学期期末テストの理科が改心の出来で、98点を取ることができた。
SSは72、もう5段階評価の「5」はもらったと思っていた。
しかし、通知表をもらってビックリ、なんと「4」。
何かの間違いか?と思ったオレは先生に聞きに行く。

「平常点があまりよくないな、だからだな」

説明しておこう。平常点とは、「ノート提出」や「授業中の挙手」、その他もろもろの授業中における先生の「客観的評価」により与えられるものだ。

オレは、貴様らのわかりづらい授業を聞くよりも、教科書を読み進めていくほうが数倍理解が進むんだよ。
なんで、普段騒いでばっかりのヤンキーがちょっとがんばったらいい評価なんだ?
アインシュタインニュートンのノートが綺麗だったとでも言うのか?
なんだこのクソ生ぬるい馴れ合いは?

ノートが綺麗だったら評価が上がる という事実に、驚愕し心から落胆した事を思い出す。

二つ。

中学2年の1学期。通知表に載っている音楽の評価はなんと「1」。
何があったのか?必死で思い出す。

「歌のテストではそこそこ歌ったし、笛のテストでもしっかり吹けた。もしかして、定期テストか?」

音楽の定期テストは、
モーツァルトの生年月日は?」
「ベートベンの生まれた場所は?」
という内容のものであった。んなもんどうでもいいから全然わからなかった。

これができないと、「1」
モーツァルトの生年月日がわからないと「1」

そして、音痴でリズムぐちゃぐちゃだがひたすら大声のM君は「5」

上に述べた二つの出来事は確実にオレの性格を悪くしたし、教師というものがとことん嫌いになったものである。

さて、なんでこんなこと長々と書いたかというと、北海道の中学校における評価システムが大幅に変わったからである。「相対評価」から「絶対評価」に変わった。

絶対評価」とは、教師が教師の判断で生徒に評価を下すことが出来るということだ。全員1にすることもできれば、全員5にすることも可能だ。

具体的にどう変わるかというと、

相対評価> 平常点:定期テスト 1:9
絶対評価> 平常点:定期テスト 5:5

つまり、絶対評価においては、
「ノートが綺麗かどうか」
「授業中に積極的に挙手したか」
「先生に好かれているか」
等々

という事が大きく評価に関わるわけである。

では、この評価システムの変化により何が起こったか?

1、高校を受けるのに必要な内申点の平均レベルが大きく上がった

 相対評価時代には志望校を受けるに足る内申ランクを得ることが出来たはずの、A君がいたとする。だが、評価システムの変化により、教師の客観性が大きく評価に影響するようになった。人間実は結構甘いもので、好きな生徒には少し評価に色をつけるようになる。すると、全体的に内申点の平均点は上昇するため、A君は現行のシステムでは志望校を受けることが出来なくなる可能性があるわけである。勉強をし、テストでいい点をとる。この行為自体の意味が以前よりはるかに薄れている。

2、おべっか生徒の悲劇

 絶対評価は「先生に好かれたもの勝ち」のシステムである。ノートを綺麗に書き、授業中積極的に挙手したB子ちゃんは、彼女の計画通りかなり高い内申ランクを確保し、市内屈指の進学校をうけることができた。
 だが、その評価の大半がおべっかで獲得した内申であるために、いざ受験となったとき、その基礎学力の不足から必要な得点を取ることができず、落ちてしまう。

3、平均レベル高校の倍率がかつてなく上昇

 1に述べたことに似ているが、中学生の内申が全体的に上昇することとなった。これにより、字が綺麗で人当たりのよいB君およびその両親は
「もしかして、△△高校はムリだけど、○×高校なら入れるのでは」と思ってしまう。
だが、実際には同じ事を考えている生徒が大量発生し、○×高校はかつてない高倍率となるのである。

オレがこの時代に中学生だったらと思うとぞっとする。
オレは・・・
ノートが汚い。
授業中挙手しない。
先生に質問しにいかない。
副教科なんか大嫌いだ。
ワーク提出?メンドクセ。
だが、テストでは90点以上取る。

こんな生徒だった。今だったらマジでヤバかったと思う。内申ズタズタだったと思う。相対評価の当時でさえ、SS72とって「4」にされるくらいだよ?
ホントに怖い。

今中学生の、オレみたいな生徒はどう思っているだろうな。がんばれよ。高校以上はこんなカスみたいなシステムじゃない。ただ勉強したことが評価されるシステムだ。あと3年、我慢してくれ。

と、オレは思っている。